文化遺産

ノースカロライナの歴史と文化的遺産

先住民の文化にアメリカの歴史が交わりあい、海の伝説や戦いの話が語り継がれ、赤土と密造酒にまみれたノースカロライナの歴史と文化的遺産は、何世紀にも渡り、アメリカの他のどの地域にもないユニークな特徴を培ってきました。チェロキー族の工芸品から風格のある灯台、海賊から陶器、戦場からレースカーまで、ノースカロライナには聞くに値する話や経験すべき歴史があふれているのが自慢です。さらに、旅行者は興味あるアトラクションすべてに簡単にアクセスすることができます。

クアラ・バウンダリー

Cherokee Pottery, North Carolina この州の最初の住民の中でも、ノースカロライナのチェロキー族の伝説は、プライドと繁栄、弾圧と再生の物語のひとつです。チェロキー族は、何百年も前にアパラチア山脈の南部に定住しました。そして、米国政府によって1838年から1839年にかけて、今では悪名高い「トレイル・オブ・ティアズ(涙の道)」を通って強制的に先祖代々の地から追い出されるまで、そこに住んでいました。その地域に留まることを許されたほんの数人の人々は、東部チェロキー族を形成しました。今日、チェロキー族の人々によって治められているその地域は、正式には「クアラ・バウンダリー」として知られており、工芸品、文化遺産、歴史とともに生き続けています。

Cherokee, North Carolina 夏にこの地域を訪れると、野外劇「この丘のために(Unto These Hills)」のカラフルなショーを通してチェロキー族の文化を経験することができます。この劇はチェロキー族の始まりから現在までの歴史をたどるものです。チェロキー・インディアン博物館では、さらにこの物語を深く知ることができます。ここでは、ホログラムの「魔法使い」が、訪問者を部族の文化と伝説の奥深くに連れて行ってくれます。オコナルフティー・インディアン村では、再現された1750年代の集落でチェロキーの工芸品が主に展示されています。ここでは、陶器、籠編み、面の彫刻の実演を見ることができ、これら太古の郷土芸術の裏にある話を聞くことができます。チェロキー文化の一部を家に持ち帰りたい場合は、クアラ・アート・アンド・クラフツ・ミューチュアルへお越しください。ここでは、先住民の工芸品が、高度な芸術のレベルまで引き上げられています。

海賊と灯台

チェロキー族がまだ高地を治めていた時、ノースカロライナの海岸の浅い海峡や入り江は、有数の悪名高い海賊の天国となりつつありました。黒ひげとして知られ恐れられていたエドワード・ティーチは、エデントンのパムリコ湾居住地とバースタウン(現在のバース)を活動の拠点としました。ノースカロライナの海岸には、ビューフォート入り江で見つかった黒ひげの旗艦「クィーン・アンズ・リベンジ(アン女王の復讐)」の沈没船と推定されるものから、彼が最後に死ぬまで戦ったオクラコーク入り江沖の海域まで、海賊の歴史が散りばめられています。ビューフォートのノースカロライナ海洋博物館には、ノースカロライナの海岸を本拠地とした黒ひげや他の海のならず者についての広範な展示があります。

でも、船乗りや商人がノースカロライナの海岸を恐れた理由は海賊だけではありません。実は、ハリケーン、強い潮流、航行の難しさなどの危険が相まって、アウター・バンクス沖の海域は「大西洋の墓場」と呼ばれていました。2,000隻以上の船がここで難破し、数知れない命が失われました。ハッテラスの大西洋の墓場博物館では、この危険な水域での航海の歴史に関する多くの展示を見ることができます。

Currituck Lighthouse, North Carolina Baldhead Island Lighthouse, North Carolina Ocracoke Lighthouse, North Carolina

海の危険はまた、ノースカロライナの海岸で最も目に付く建物である灯台の建造にもつながりました。歴史的灯台の中で最も有名なのは、ケープ・ハッテラスです。これは、世界で最も高いレンガ造りの灯台で、侵食から守るために内陸へ883メートル移動された後、今日でもまだ稼動しています。ノースカロライナの海岸にある有名な灯台には他に、カリタックビーチ灯台、ボディー島灯台、オクラコーク灯台、ケープルックアウト灯台、それに州で現存する最古の灯台である「オールド・ボールディ」があります。

反乱の温床

ノースカロライナの初期の住人は独立心が旺盛なことでよく知られており(イギリスの将軍コーンウォリスが18世紀にシャーロットを「反乱の巣」と宣言したのは有名です)、国の中央にあるこの州の立地のため、革命戦争と南北戦争の両方で極めて重要な場所となりました。今日でも、ノースカロライナの各地には、歴史的な軍事衝突の激しさを感じることができる場所がたくさんあります。

ケープフィアー川の河口では、かつて繁栄したケープフィアーの港町ブランズウィックの遺跡を見ることができます。この町は1776年にイギリス軍によって破壊され、その後再建されることはありませんでした。グリーンボロの北にはギルフォード裁判所国立戦争記念公園があり、ここでは1781年10月のヨークタウンでのイギリス軍の降伏に直接つながった、3月15日の決戦の場所を見て回ることができます。

Ft Dobbs, North Carolina 80年後、ノースカロライナはアメリカ合衆国から離脱した最後の州のひとつとなり、南部連合軍側として南北戦争に突入しました。南北戦争のアマチュア歴史家にとっては、戦争初期に北軍によって占領され、開放された奴隷の植民地となったロアノーク島を初め、教会、農園、事業所など、探訪すべき見どころにあふれた、事実上の宝の山がノースカロライナにはあります。

海岸線をさらに行くと、南部がまだ固持していたウィルミントンの港があります。ここは、軍に供給する密航船に開かれた南部連合軍の最後の港となりました。この都市は、1864年から1865年にかけての冬に北軍が2つの水陸両方の戦闘を仕掛けるまで、フィッシャー砦によって守られていました。1865年1月15日についに落ち、南部連合に速やかに終止符を打った「南部のジブラルタル」として知られているこの砦は現在見学が可能です。また、ロバート・E・リーの降伏やアブラハム・リンカーンの死後に起こった、ノースカロライナ最後の南北戦争の戦地があるベントンビルを訪ねることもできます。

現在、ノースカロライナの戦場の銃や大砲は幸いなことに静かですが、訪問者は、革命戦争や南北戦争の足跡に関するガイドをダウンロードし、州の多くの史跡を訪ねたり戦闘の再現劇を見ることによって、その時代を追体験することができます。

密造酒からモータースポーツまで

20世紀の初めまでには、少数のノースカロライナの住民が新しい反抗活動に携わっていました。これは「ムーンシャイン」として知られる自家製ウィスキーにかかる連邦税に反対するものでした。大胆不敵な運転手が車にアルコールを積み込み、連邦政府の「密輸監視官」を避けようとエンジンの馬力を上げて、曲がりくねった山道でハイスピードのかくれんぼをしていました。

しかし、そのうちこれらの反抗的ロードスターは、スピードに対する欲求の合法的なはけ口を見つけました。1948年、ビル・フランスという興行主がNASCAR(ナスカー)を設立し、突然、ストックカーのレースがトウモロコシ畑から飛び出しスポットライトを浴びたのです。

今日、NASCARは全米で日曜午後のスポーツの定番となっており、ノースカロライナはその中心です。ランドルマンのぺティ・ファミリー博物館からムーアズビルのレースチーム車庫、コンコードにあるロウズ・モーター・スピードウェイの神聖な舗装道路まで、ノースカロライナを訪ねることなしに、レースの巡礼を完了することはできません。また、シャーロットの山の手は2010年、NASCARの殿堂の地となることをお忘れなく!

もっと詳しく知りたい方のために:

ノースカロライナを訪ねる

ノースカロライナ州の公式観光ウェブサイトをぜひご覧ください! 近く行なわれるイベントのリスト、人々や場所に関する興味深い話など、ノースカロライナ旅行の計画を立てるのに必要なものすべてが見つかります。